浅利慶太の四季

ぼくにとっては、西洋化するということは咀嚼の行為だと思うんです。ぼくらの世代のほうが前の世代より一歩西欧に近づいている。つぎの世代にも同じ道を歩んでもらって、明治維新から数えて百五十年から二百年、つまり二十一世紀のなかばぐらいになると、ほんとの意味で西洋を咀嚼した日本文化のスタイルが出てくると思います。苦しくてもあわてちゃダメ、慌てて日本様式を掲げていくというやり方ではダメなんです。逃げないことが大事なんです。能や狂言、歌舞伎、文楽もあるのに、なんで外国のミュージカルをやったり、翻訳劇をやるのか、という人がいますが、その身もだえの中に西洋との出会いがあるのです。その遥かなる延長線上に東西融合、和洋融合というものがやがてくると思います。
浅利慶太の四季
107頁、108頁

日本の新しい演劇の歴史はこれから始まる。そして我々は、今度こそ劇場に“美”を齎すであろう“芸術としての演劇”のためのよき観客となり、優れた芸術家となって、日本の演劇に於ける「伝統」を形造って行かなければならないのだ。
浅利慶太 1950年17歳
365頁

過去において沈黙を守ったが故に、数千万の人命を失い、偉大な不幸を招いた日本人は、世界に再び暗雲が濃くなってきた今、今度こそは決して沈黙を守るべきではないであろう。
364頁

オペラ
オペラ座
アンドリュー・ロイド・ウェバー
劇団四季
浅利慶太
浅利慶太
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